2011年11月27日日曜日

16歳ということ

元服
わが国に古来よりある成人の儀式を言います。

満年齢の16歳は、おおよそ数え年の15歳、つまり成人年齢と言えるわけです。


数え15歳の少年は、元服祝を。
武家の子息は元服を迎えると、神社で武運長久を祈りました。

強い身体と精神力を持った「益荒男(ますらお)」・・・つまり、雄々しく男らしくという意味を持つ言葉です。
一人前の男として重要な責任と義務を負い、社会の仲間入りを果たす年令を意味します。

今の時代は寿命も延び、
教育の機会も長く20歳以降まで続き、
ありがたく平和な世を謳歌しています。


息子の16歳の誕生日
ささやかなケーキの周りに16本のロウソクです。

毎年母親の手作りケーキだったのですが、
母親が急ぐ用事があって、今年は市販のケーキになりました。

でも、この笑顔が宝物だなと。

16本のキャンドルに笑顔が浮かんで

彼の大好物のピザ、これは母親の手作りです

2011年8月16日火曜日

カヤの平で夜明けを

カヤの平
ご存じの方も多いでしょうけれど、木島平村にある山奥の牧場。
その牧場に隣接してキャンプ場があります。

標高1450メートル
奥志賀林道の途中にある牧場です。
ホルスタインとジャージー種がのんびり牧草を食んでいました。

一番近い集落まで10数キロです。
野沢温泉からはワインディングロードを40キロの行程です。

東京が40度近いこの夏
日中でも20度台半ばで過ごしやすく、朝夕は17度以下に下がり肌寒いほどです。

携帯電話は通じません、唯一の通信手段はロッジに設置されている通信衛星を使った衛星携帯公衆電話のみ。
ちょっとだけ、ネットの世界からエスケープできる場所です。

家族の夏休み
久しぶりにキャンプをしました。

20代の頃は毎月のように海に山にとキャンプに勤しんでいましたが、ここ最近はかなりのご無沙汰ぶり。


テントが苦手な方にはロッジもあります。
サニタリーも清潔です。

家族キャンパーも多く、
周辺に散在する湿地帯めぐりや写真目当ての方など広い世代の男女に出会いました。

麓に下ると滔々と流れる水量豊かな千曲川です。
信州ですからお蕎麦やさんも魅力の一つ。

温泉好きには馬曲温泉がオススメ。
小さな温泉ですが露天風呂は気持ちの良い眺望です。


カヤの平、ちょっと遠くて行きにくいけれどオススメですよ。

イン・ザ・モーニング

朝日に想う

ウエルカム・サンライズ


人間の道具

暖を取る




2011年8月6日土曜日

夏は公園にあり

夕方のひととき
久しぶりに近所の公園を散歩する時間に恵まれた。

思えば、ここ数ヶ月
なかなか趣味としての写真に割く時間をとれていなかったなと・・・
もちろん、仕事の多忙さもあるのだが、そのほか慌ただしく日々が過ぎてきていた。

その背景として311が無視できないこともあるのだが。
所属する団体では積極的に、ダイレクトな支援を分担して行って来た。

この団体は地域のオヤジ達百数十人で構成された政治色も宗教色もない任意の組織です。
先月も交代で現地に数名が飛んでいるし、他のメンバーも後方支援に余念がない。


さて、そんな中、
ちょうど天気にも恵まれた。
サー、カメラを持って行こうじゃないかと!
意気軒昂に自分から動いたふりをして・・・

実は
「父さん、公園に散歩行こうよ。」
という
息子の一言に掘り起こされた行動だったのだ。

ありがたい。

D700 Nikkor 300mm 1:4.5

午睡という名の至上の贅沢

少年時代という珠玉の時間

かばんの夏・スタジアムの夏

日が落ちた公園のそよ風に瞳を閉じて

あつはなついねー!ん?

トワイライトタイムのマドンナ

2011年6月27日月曜日

少年の宝物

彼が手にして真剣な眼差しを送っている物・・・
スタジオジブリのタイトル曲や挿入曲のスカ版ミュージックのCD
自分の小遣いで買った大切な物。

お気に入りのCD・・・汚れを掃除しているんです。
大のお気に入りのCDを。

昔だったらさしずめLPレコードのお掃除?
懐かしい気持ちになりますね。
僕も彼ぐらいの時は・・・レコード高かったなー。
ラジオ、とても大事な情報源でした、音楽の。


なにしてるのかなーと見たら!
いい感じにCDがレフ板の役目をして光を反射してくれている。
こんなチャンスを生かさない手はないよねとばかりに50mmのマニュアルレンズを付けたカメラを向けるといいアングルが見えていた。

ついでに窓辺を写して遊んでみた。

宝物はスタジオジブリの音楽CD

これも宝物のスペースシャトルが地球を回る時計

真剣だよねー、こういう時って

猫避けじゃないのです、金魚鉢用のカルキ抜き水の汲み置きです。

満足かな?ちょっと笑みがこぼれます。

マックのアイスコーヒーの空きカップにダークチェリーを入れて
ウィンドウアクセサリー?

2011年5月15日日曜日

時を超えた物語

5月の連休
立ち寄った観光地の山頂で
映画のようなワンシーンに出会いました。

ちょうど絵になるバイクが止まっていたので喜んでレンズを向けていると
なんと
もっと自然にドラマチックな風景が

めったにないショットに嬉しさがあふれて

きっと兄弟ではないかと思われる二人の子どもが
最高のシーンを作ってくれました。

ねーねー、なんか変わったバイクだね

ハイ、昭和の時間を配達中

ん?・・・いまこの見晴らしのいい風景を写メ中だから待って

2011年3月9日水曜日

光の中のペインター

菩提寺の入り口にて
静かにスケッチをする方がいました。

東洋系ではないその顔立ち
一声かけて撮影の許可を求めると快諾。
言語は英語圏の方でした。

彼のスケッチブックの先には
石仏の観音菩薩像の穏やかな笑顔がありました。
アルカイック・スマイルとも言えるその微笑みには
シアワセのオーラを放っていました。

そしてスケッチをする彼の顔も光に満ちて

光の中のペインター(Reversal Film RDPIII で撮影)

2011年3月3日木曜日

テディベアの夢見る世界

子供の頃夢見た世界

僕はオトコですから
自動車とか飛行機とかロボットとか・・・多くの男子が夢見る世界
メカニックな世界の住人になって大空を舞い21世紀に生きていた・・・

女の子ならどんな世界があるのでしょうね?
お人形から始まる夢の世界でしょうか・・・

偶然通りかかった銀座の片隅
テディベアのショップがありました。

そして予期せぬ光景が眼に飛び込んできて・・・
微動だにせずにウィンドーを熱心に覗き込む子供の姿が・・・
その隣には縫ぐるみのクマさんが!
思わずシャッターを切っていました。

お店の演出も小粋ですね。
子供でなくても眼を留めるでしょうね。

後では、お母さんと思しき方がじっと静かに、ベビーカーの傍らにて見守っていたのも印象的です。


このショーケースの向こうには100エーカーの森が・・・

夢見るラビリンス

2011年3月2日水曜日

梅香五話

梅香に継る命の物語


2月の休日のある日
駒沢公園でのスナップショット。

梅を写しに行ったわけではなく、カメラぶら下げての散歩の途上
印象的なシーンに出会って・・・

梅華の香りに引き寄せられるかのように、継る命の共演でした。
老若男女国籍を問わず
様々な形の家族の絵がありました。


梅下に集まるDNAの継承。


華の競演

継る命

異国の梅の樹の下で

仰ぎ見れば

花化粧

2011年2月22日火曜日

哲人の四季

あの雪の日の翌朝
やはりいらっしゃいました。


いつもの「哲学の小径」に


哲人の四季がありました。


静かに
空気と同化するでもなく
かといってざわめきも起こさずに


隣で腹筋の筋トレに励む若者に煩わされることもなく
恋人たちのささやく散歩にも惑わされずに


宇宙の深淵を思うかのような表情は四季を通じて変わること無く
真夏の酷暑の中でもガンジーのような佇まいで・・・


冬の朝にも
うたかたと消えた淡雪と対照をなすように
変わらない信念に導かれているのでしょうか、その存在は薄れることがありません。


彼が感じる四季には
きっと
僕が感じられる何万倍もの詩が聞こえているんでしょうね。




「哲学の小径」は
僕が勝手に名付けた公園の中の小径です。

哲人の小径の定位置にこの朝も

微動だにしない傘がその精神を表しているのでしょうか

幾多の愛の囁きを耳にしてきたのでしょうね

若きアスリートの喧騒にも惑わされすに

2010年の夏は、記録的な暑さでした。

2011年2月14日月曜日

森の音楽隊

駒沢公園の音楽隊

音楽隊と言っても、同好の方が集って楽器の練習をしているのです。
今回の写真は以前に撮影した中からご紹介。


最年長の方は80歳を優に超えているんですよ。


週に何回か、
彼らの音楽に耳を傾けられるチャンスがあるのです。
天候や楽隊の皆さんのご都合、
僕自身の仕事の都合でコンサートには行けないことがほとんどなのです。


近々、また会いに、そして音楽を聴きに行きたいと思える春の兆しが少し近づいてきました。














2011年2月3日木曜日

ぺんぎん亭ありがとう

駒沢通りに
かつて、「北京亭」という中華料理屋さんがありました。
ある日突然のご主人他界の悲報。

しばし閉店の後、
修行を積んだ息子さんが復活させたのが、「ぺんぎん亭」です。
お母さんと二人三脚で店を切り盛りしてきました。

美味しかったんですよ。

近所の多くの方々に贔屓にされていました。
信じられないくらいのたくさんの著名な芸能人も来店して普通に肩を並べて食べていました。

近くの駒沢大学や日体大の学生には豪勢な割引やサービスがあり、若いお客でも賑わっていました。

本来の仕事が忙しくなった息子さんは厨房から離れてお母さんがひとりで切り盛りするようになりました。
でも毎日の閉店時には必ず息子さんが来ていましたね。



2011年1月21日、最終営業日。

翌日から、もう、スープを作るコンロの火は灯らなくなりました。


ぺんぎん亭のお母さん、ありがとう